おしらせ

 

2017_12_08

2018年1月22日より慶應義塾大学アート・スペースで開催される展覧会「アート・アーカイヴ資料展XVI:影どもの住む部屋――瀧口修造の書斎」の、DM・ポスターのデザインを、山本浩貴+hが担当しました。会場で配布予定のパンフレットも鋭意制作中です。トークイベントにも登壇します。

瀧口の最高にかっこいい本『余白に書く』と、そこに収録されたテキストらの初出資料(リーフレット、私信、etc.)、瀧口の書斎写真、などといった貴重な資料群を通じて、瀧口の制作編集プロセス-〈書斎〉を写し出す。そんな展覧会です。

 

「アート・アーカイヴ資料展XVI:

 影どもの住む部屋――瀧口修造の書斎」

2018年1月22日-3月16日|11-18時(入場無料・土日祝日休館)

会場:慶應義塾大学アート・スペース

主催:慶應義塾大学アート・センター

 

関連トーク・イベント(各回18時開始)

2018年1月26日|石岡良治-久保仁志

2月16日|土屋誠一-久保仁志

3月9日|山本浩貴(いぬのせなか座)-久保仁志-山腰亮介

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2017_11_27

『現代詩手帖』2017年12月号「【特集】現代詩年鑑2018」に、鈴木一平の詩「日記 1991.7-2016.7(抄)」が掲載されています。『灰と家』の「日記」をリミックスしたテキストです。

また、同号では、吉田文憲さん・川口晴美さん・山田亮太さんによる「展望鼎談」で、いぬのせなか座について多く語られているほか、「2017年総展望」や「アンケート 今年度の収穫」でも、いぬのせなか座叢書についてたくさん触れていただいています。

取り上げてくださったみなさま、ありがとうございます。

ぜひご一読ください。

 

 

 

 

2017_11_26

鈴木一平が、以下のイベントに登壇します。

一人ずつが、2000から2017年までに刊行された詩集を年ごとに1冊ずつ選んでいくとのこと。ぜひご来場ください。

 

サクラコの部屋 Season 2 年末特大号!

2000年から今年までふりかえっちゃいますスペシャル!

&サクラコレクション・アワード2017発表!

出演:一方井亜稀、榎本櫻湖、鈴木一平、藤原安紀子、森本孝徳

2017年12月16日(土) @四軒茶屋

open: 12:30  start: 13:00

¥2000+1ドリンク

 

 

 

 

2017_11_25

11月25日ごろに発売される『図書新聞』(2017年12月2日付)に、山本浩貴+hが、福田若之さんの句集『自生地』をめぐる書評「句(集)によりオブジェ化された時空らが上演する制作のデモクラシー 〈空〉の鳴らす歪なリズムの地平を方方に立たせていく」を寄稿しています。

『ヒツクリコ ガツクリコ』に寄せたテキストとならんで、音とテキストと(共同)制作(の日々)、をめぐるものとして、福田さんの句集とともに、お読みいただければ幸いです。

 

 

 

 

2017_11_24

キュイ『前世でも来世でも君は僕のことが嫌』、16日(土) 18:00の回の〈ポストパフォーマンストーク〉に、いぬのせなか座がゲストとして登壇します。キュイさんとは先日の『新しい小説のために』イベントでもご一緒しました。ぜひご予約の上、ご来場ください。

 

 

 

 

2017_11_23

いぬのせなか座は、2018年夏、〈いぬのせなか座叢書第三弾〉として、吉田恭大『光と私語』(仮題)を刊行いたします。

「アムリタ」のドラマトゥルクでも活躍する吉田恭大さんの待望の第一歌集。どうかご期待下さい。

https://twitter.com/hiroki_yamamoto/status/933618560248582144

 

 

 

 

 

2017_11_04

鈴木一平が第6回エルスール財団新人賞<現代詩部門>(選考委員:野村喜和夫、柴田聡子(前年度受賞者))を受賞しました。

「贈賞理由……今年は鈴木一平を指名する。俳句や日記を含む詩的エクリチュールのあらゆる形式を用いての、いやページレイアウトをも巻き込んでの、世界が自己と外界に分化する以前の「雲」を言語化しようとする詩集『灰と家』の試みは果敢に冒険的で、真に新人の名に値するし、「いぬのせなか座」という驚嘆すべきユニットでの活動も含めて、鈴木一平は可能性のかたまりのような詩人だ。(野村喜和夫)」

 

ウェブページには、賞の理念として以下のように書かれています。

「この賞の特徴は、詩集ではなく詩人に与えられるということです。具体的には、年末近くに、その年の中原中也賞、H氏賞、歴程新鋭賞、日本詩人クラブ新人賞、現代詩手帖賞、ユリイカの新鋭、詩と思想新人賞などの受賞者およびその候補者、あるいはそれと同等の活躍をしたとみなされる新人の書き手を対象とし、そのなかから、まさに新人のなかの新人ともいうべきひとりを選んで顕彰します。」

関係者のみなさまに、心から御礼申し上げます。

 

また、鈴木一平『灰と家』(いぬのせなか座)第35回現代詩花椿賞の最終候補に選ばれていました。

授賞は井坂洋子『七月のひと房』(栗売社分室)でした。

 

その他、鈴木による詩が複数の媒体に掲載されています。

・『朝日新聞』11月1日(水)夕刊「あるきだす言葉たち」に、詩「おかえりなさい」を寄稿。ウェブでも閲覧可能です(※要登録)

短詩系マガジン『guca』リニューアル創刊号(太田ユリさん・佐藤文香さん編集)に、鈴木一平が俳句と詩と日付を組み合わせた詩「雫色の幹に、ある日」を寄稿。「短詩への扉をつくる人たち」と称し、巻頭作品として掲載されています。販売は、2017年11月23日、第二十五回文学フリマ東京にて。(※ブース F-11(Eホール(1F)))

 

 

 

 

2017_11_02

アムリタによる公演「冬の演習 廃墟に佇む二篇 「6畳の白い部屋その床面にあなたは水平に横たわる」上演 +「から、へ、流れる」上映会」(BUoY 北千住アートセンター)の12月2日(土)20時の回のアフタートークに、いぬのせなか座がゲスト出演します。

「都市詠・生活詠としての短歌の舞台化に挑戦」などなど、大変興味深い上演となること必至なので、ぜひご予約の上、ご来場ください。

 

 

 

 

2017_11_01

現在おこなわれている展覧会「ヒツクリコ ガツクリコ ことばの生まれる場所」コンセプトブックに、山本浩貴+hが論考「生(活)の配置、〈調べ〉の気づき 必然の混雑なる場をもたらす詩の形式について」を寄稿しています。全文英訳も掲載されています。

萩原朔太郎、新国誠一、足立智美、福田尚代、ni_ka、oblaat、TOLTAといった(展覧会出品作家の)方々を、リズム、記譜、レイアウト、アナロジズム、混雑、詩、共同性……などといったキーワードとともにぎゅっと凝縮して論じています。

 

 

 

 

2017_10_31

11月26日17時より、TOLTAによるパフォーマンス公演「私が立っているこの地上――代替エネルギー推進デモ」が行われます(両国門天ホール)。

いぬのせなか座より刊行された河野聡子さんの詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』には、「代替エネルギー推進デモ」という大作が収録されていますが、これはじつは、2011年の震災直後にアンスティチュ・フランセ東京で上演されたテキストでした。

今回、いぬのせなか座からの詩集刊行を機に、新たなアレンジで「代替エネルギー推進デモ」が再演されます。実験音楽とシアターのためのアンサンブルをゲストに迎え、現代詩と実験音楽によって、2011年とは異なった方法での上演がもくろまれるとのことです。

ぜひご予約の上、足をお運びください!

 

 

 

 

2017_10_10

鈴木一平『灰と家』の初版300部完売をうけ、第二版を制作いたしました。本日より通販を承ります。

デザインに若干の微調整が行われたほか、著者の鈴木により、本文の一部が改稿されています。

 

 

 

 

2017_10_06

東京都三鷹にあるスペース「SCOOL」にて、10月29日(日)16時から行なわれるイベント「『新しい小説のために』刊行記念 新しい小説のためのプログラム」に、いぬのせなか座が参加します。

佐々木敦さんによる、現代日本小説(さらには芸術の根底)をめぐる今回の著書を発端とした、上演版座談会を行うため、日々議論・制作中です。ぜひご予約下さい。

 

●キュイ新作短編『演劇・移人称』

作:綾門優季

演出:綾門優季、橋本清

出演:橋本清、井上みなみ(青年団)

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●滝沢朋恵ライヴ(委嘱新曲「小説」初披露)

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●いぬのせなか座「私らの距離とオブジェクトを再演する/座談会6」

出演:いぬのせなか座(鈴木一平、なまけ、山本浩貴+h、etc.)

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●上妻世海×佐々木敦 対談「新しいフィクションのためのプログラム」

 

予約方法:

SCOOL(info@scool.jp)にてメール予約受付。

※件名「新しい小説のために」本文に「名前」「電話番号」「枚数」をご記入ください。こちらからの返信をもってご予約完了となります(24時間以内に返信します)。定員になり次第受付を締め切らせていただきます。

※予約キャンセルの場合は、お手数おかけしますが、 必ず事前にご一報ください

 

→終了しました。台風のなか、満席以上のご来場、誠にありがとうございました。佐々木敦さんをはじめとして様々な方からいただいたご感想や、自分たちの今回の座談会=上演がどのような考えのもとで為されたか、当日配布された資料のデータなどについては、後日まとめ、公開いたします。今しばらくお待ちいただけますと幸いです。

とりいそぎ、「鈴木一平による詩「すべては、明るく」をきっかけに、hが書いたこのテキストを、なまけに自らの体験として語ってもらう、というパート」のために、上演中書かれ投影されつづけていたhによるテキストを以下に公開しています。

http://inunoesa.tumblr.com/post/166943167739/20171029

 

 

 

 

2017_10_06

『文藝』2017年冬号に、いぬのせなか座が書評を寄稿しています。

扱った書物はレベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』(東辻賢治郎訳、左右社)です。

はからずも、これまでで最も「テキストを毎文ごと複数人で制作する」ことを徹底して試みたものになりました。

 

 

 

 

2017_09_08

333の企画のひとつ、「河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』をめぐって」に、新しく福田貴成さんのテキストが加わりました。こちらでご覧いただけます。ぜひご一読ください。

 

 

 

 

2017_09_02

333の企画のひとつ、「河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』をめぐって」に、新しく郡司ペギオ幸夫さんのテキストが加わりました。こちらでご覧いただけます。ぜひご一読ください。

 

 

 

 

2017_08_28

河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』に関して、「ちくまweb」では大崎清夏さんが、『現代詩手帖』詩書月評では時里二郎さんが、それぞれご紹介してくださっています。ぜひ御覧ください。

 

 「大崎清夏・選:からだを使って読む本」ちくまweb、2017年8月23日

――《この詩集は、もっと新しい身体=ことばの使い方も提案していて、各ページに配された色やかたちが、ことばと一緒にページの隅っこへ出かけたり、好きな場所でジャンプしたりする。原発事故を契機として書かれた「代替エネルギー推進デモ」という長い詩を読んでいるあいだは、ページは停電の続く家のように、真っ黒になる。色やかたちは、ことばと共鳴したり、不協和音を奏でたりしながら、生活のなかで感じる音や光のように、また無音や暗闇のように、身体に差しこんでくる。》

 

  時里二郎「詩書月評」『現代詩手帖』2017年9月号

――《これまで採り上げてきた詩人たちの方法とははっきりと一線を画している。〔…〕詩集のなかではやはり「代替エネルギー推進デモ」が群を抜いておもしろいのだが、これらのパートの文体も、さらにより基本的な翻訳文体でできあがっている。言葉の持つ意味作用を手放さず、意味が連鎖して起こる言葉の理路を、詩を動かすエネルギーに据えている。従って、言葉の理路の骨組みが重要な要素となるために、いきおい詩は構造的になる。書くのではなく制作するといったのはそのためだ。(むろん、詩集の造本も詩の制作の重要なプロセスにふくまれる。)〔…〕「代替エネルギー推進デモ」は、日本のエネルギー事情の混乱を揶揄した作品ではむろんないだろう。評者は、これを日本の詩の言葉についての意味深い考察として読んだ。〔…〕この一篇には、日本の近現代詩(の言葉)が試みてきた涙ぐましくも果敢な来歴がなぞられているように思われるのだが、妙な読み方だろうか。》

 

 

 

 

2017_08_27

「いくつもの場を行き来させるプロジェクト/プロトタイプのための保存と提示」を行うページとして、333を再起動します。第一弾として、『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』をめぐる寄稿・作品を公開します。

 

 

 

 

2017_08_10

8月25日(金)、表参道・スパイラルにて、

いぬのせなか座叢書 河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』鈴木一平『灰と家』刊行記念イベント

『第17回 SYLP Meeting いぬのせなか座

「詩は、なんでこんな格好をしているのか」』

を開催いたします。登壇者は、いぬのせなか座+河野聡子さんです。

鈴木一平による、詩の歴史をレイアウトの観点から辿っていくプレゼンテーションや、詩とそのほかの表現形式の関係、叢書2冊の制作過程のはなし、いぬのせなか座による実験=パフォーマンスなど、など……さまざまを予定してます。詩の新しい使い方を考えたいです。

ご予約は、info@oblaat.jp まで、ご氏名をお知らせください。

いぬのせなか座の回ご希望の旨明記をお願いします。

ぜひご予約の上お越しください!

 

 

 

 

2017_08_05

東京新聞8月5日夕刊の川口晴美さんによる「詩の月評」にて、河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』が取り上げられました。

《河野聡子の新詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(いぬのせなか座)も、極めてユニークだ。本自体がアートであるようなかっこいい装幀。大胆にデザインされたページ上を生き生きと流れる言葉が読者まで届く。3・11後に書かれ、パフォーマンスとして上演したという連作「代替エネルギー推進デモ」は、人の様々な動作をエネルギー源にするべくとらえ直す視線が切実で、それゆえ可笑しく、苦い。その他の詩篇もSF的な趣のなかに不思議な抒情性を漂わせる。本を開くところから始まる詩の空間の広がりを、体験するように読んだ。》

 

 

 

 

2017_08_02

東京新聞8月2日夕刊の「大波小波」にて、河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』が取り上げられました。

《言葉の前衛アート集団、TOLTAの代表者で詩人の河野聡子の新詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(いぬのせなか座叢書(そうしょ)2)は、言葉とデザインが主張し合うユニークな作品だ。〔…〕圧巻は終章の「地上」。〔…〕今までの作品は、すべて死者からの視点だったのかと軽い目眩を覚える。》
《分厚い栞はデザインを手がけたいぬのせなか座の座談会で、「言語表現は、紙の上に並べられた活字(+線、色、図形)に還元されるものではなく、それを用いて行なわれる共同の制作の営み」との、まっとうだが軽視されがちな意見が頼もしい。ありそうでない、文芸表現の新たな可能性が詰まった詩集である。》

 

 

 

 

2017_07_17

美学校にて、山本浩貴×福尾匠「いぬのせなか座×アーギュメンツ#2 トークイベント」が行なわれました。当日は、たくさんのお客様にご来場いただきありがとうございました。また会場にて、いぬのせなか座叢書第二弾、河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(山本浩貴+h編集・デザイン)を発売しました。トークの模様は後日ウェブ上にて公開予定です。

 

 

 

 

2017_07_09

いぬのせなか座叢書第二弾として、河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』(山本浩貴+h編集・デザイン)を、7月17日に刊行します。現在、ウェブでの予約を受け付けています。

 

 

 

 

2017_07_07

『文藝』2017年秋号での特集「176人による現代文学地図2000→2020」に、いぬのせなか座が、テキスト「反転する距離の奥行き」を寄稿しています。(来たるべき)小説制作者=共同体について考え書いています。

※次の箇所、《一文ごとの〈私+環境〉たちの統合論理たる「私」の内的同一性が【、】複数身体間に横たわる外的距離として回収【する→される】ルートを設定することで、過去の私を異なる時空に位置する私として見つめ》が正しいです。

 

 

 

 

2017_06_28

『現代詩手帖』2017年7月号での特集「新鋭詩集2017」に、鈴木一平が、新作詩「すべては、明るく」と、アンケートを寄稿しています。

また、同号には、三角みづ紀さんによる、鈴木一平『灰と家』の書評「このうえない当たり前のような美しさ」も掲載されています。

ぜひご一読ください。

 

 

 

 

2017_05_27

『ユリイカ』2017年6月号で、いぬのせなか座が3つのテキストを寄せてます。

①鈴木一平:詩「裏山のユさん」

②山本浩貴+h:小説=批評「空白の料理 私の部屋の配置によって染み込む死への温もりと、花畑を何重にもつみかさねた実験場で見られる新たな系の制作」(特集「最果タヒによる最果タヒ」)

③いぬのせなか座:「最果タヒ全単行本解題」(特集「最果タヒによる最果タヒ」)

 

 

 

 

2017_05_08

新しい座談会をまとめたペーパー「座談会4」を発売しました。あわせて、完売より長らくおまたせしておりました「いぬのせなか座」2号の再販版も発売いたします。冊子のデザインが変更され、より過激になりました。メールでのご注文を受け付けております。

 

 

 

 

2017_03_10

鈴木一平が「詩客」ホームページにて短歌評「短歌を見ました」の第4回を更新しました。前回に引き続き、「穀物 第3号」に掲載されている作品を分析しています。

《「われ」は表現主体の可能なバリエーションの一つであり、一連の短歌作品の語り手でも、ましてや「書く私」として不動の地位を占める書き手でもない》

 

 

 

 

2017_02_25

「東京新聞」2月25日夕刊にて、佐藤文香さんの俳句月評に鈴木一平『灰と家』を取り上げていただいています。

 

 

 

 

2017_02_20

山本浩貴+hが小説「草のあいだから」を寄稿している『文鯨』2号が発売されました。長めの短編です。いぬのせなか座立ち上げの経緯と、詩集『灰と家』の制作、昨年9月のパフォーマンス「空間と記述」制作などをめぐって、代弁(死者、友人、過去、虚構への……)と距離について、書きました。末尾にはパフォーマンス「空間と記述」の記録映像へのQRコードも印刷されています。また、『文鯨』表紙をめくったところに、小さなドローイングもよせています。

 

 

 

 

2017_01_21

津島佑子: 土地の記憶、いのちの海』(河出書房新社編集部)に、いぬのせなか座が参加しています。著作解題で、12作品(『光の領分』『山を走る女』『夢の記録』『火の山』『笑いオオカミ』『ナラ・レポート』『電気馬』『黄金の夢の歌』『ヤマネコ・ドーム』『ジャッカ・ドフニ』『半減期を祝って』『狩りの時代』)について、短く、とはいえかなりごつく、論じ紹介しています。どうぞご一読ください。

 

 

 

 

2016_12_29

『現代詩手帖』2017年1月号の詩書月評(時里二郎さん)にて、鈴木一平『灰と家』が、冒頭から大きく取り上げられています。

《鈴木一平『灰と家』(いぬのせなか座)の詩の世界に目を瞠った。

 

 人の、聞こえなくなる声は

 金具に映る月

 水際をつなぐ、球のみずうみ

 あじさいの花を着る鹿は、一滴の

 輪になって、首すじの光を考える

 雲の端からこぼれた日差しが、道の向こうに落ちている

 道の上、雨を浮かべて、寝そべったままの姿見を

 横切ろうとする、空のまん中を」

 (「あじさいの花を着る鹿は」部分)

 

 このうるおいに充ちた音楽。声に出してみるとわかるが、丁寧に音韻を意識して言葉が織られている(例えば引用部分は、カ行音とマ行音で縫い取られている)。刺々しく難解な抽象語のたぐいや翻訳語はなく、やわらかな和語−ひらがな系の語感を生かして、語彙も意識的に制限されている。遠いところで古典的な詩語のうるおいの水脈にさえとどいている。

 しかし、言葉の論理をたどっていくと、ほとんど迷子になってしまう。言葉の意味性(論理)を使って、何かを伝えようとする詩ではない。改行詩の作品を読んでいると、故郷で過ごしていたころの記憶の断片が紡がれているのがわかる程度。ちなみに一九九一年宮城県生まれとある。思い出される少年期の《輪郭》ではなく、その生地や肌理の質感を、言葉によってたどりなおすわけだが、その際に、耳や目や触感を、言葉の音韻や意味の滲みや齟齬をあやつって織りあげていく、その手際は実に新鮮で目を瞠った。

 このような改行詩のあとに、「日記」がはさまる。これはがらりとスタイルが変わって、紙面の下段に、ごく普通の文体で、その日のことが綴られ、上段に俳句が一句掲げられている。俳句と日記の関連性は表面上は薄いが、日記の「私」は確かにその一句をその日に書いたということであり、むしろその断絶にこそ俳句のポエジーが担保されている。後半は再び行分け詩にもどる。ただし、ここでは、一行の任意の語の「音」をルビのようにひらがなで取り出して、それによって新たな詩の一行が挿入される、といった試みがなされている。詩の言葉を論理や意味からほどいて、その生地としての感覚のテクスチュアを紡いでいく。そのテクスチュアに、詩人の生の原郷を織り込むこと。そんな果敢な試みの詩集として読んだ。また、この詩集の造本の、清潔で生真面目な意匠にも魅かれた。何をおいても瞠目すべき第一詩集である。》

 

 

 

 

2016_12_28

2017年1月18日(水)に東京都大岡山で行なわれるイベント『BONUS超連結クリエイション vol. 4 テクノロジー×ダンス×X(社会的課題)』に、山本浩貴+hが参加します。

5つあるパートのうち、2番めの、「手塚夏子のアイディアをめぐって「ソーシャル・トレース」」で、10分ほどパフォーマンスをする予定です。手塚夏子さんのすごい手立て〈トレース〉を、自分なりにどう発展させられるか、提示する役回りです。今回、平日ということもあり(!)、山本浩貴+hのふたりだけでのパフォーマンスになる予定です。先日の「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」でのパフォーマンスの発展形になるのか、あるいはまったく別のものになるのか、まだわかりませんが、どうぞよろしくお願いいたします。

(手塚夏子さんに関しましては、現在発売中の『早稲田文学』2016年冬号にて、山本が企画担当した小特集「からだにとって言語とはなにか」(小特集リード文がこちらで読めます)にご寄稿いただいています。どうぞご一読ください。)

 

 

 

 

2016_12_05

鈴木一平『灰と家』に関するTweetをまとめました。

鈴木一平『灰と家』に関するツイートまとめ(随時更新)

 

 

 

 

2016_12_03

鈴木一平が「詩客」ホームページにて短歌評「短歌を見ました」の第3回を更新しました。今回は、「穀物 第3号」に掲載されている作品を分析しています。

《曇天と知覚の対であるところの上句・下句の構造は、「ごとくありて」と「見ひらけば」の転換を挟むことで両者の関係を明瞭にかたちづくっています。鰈のように差し出される曇天があり、それを受け取る目の視覚。言い換えれば、曇天を主語とした述部としての視覚というレイアウトによって、作品はひとつの図を形成しています。数ある詩型のなかでとくに短歌が優れているのは、こうした対のレイアウトがもつ反復=リズムの時間性において、文構造に依存しないかたちで言葉の配置を有機的な歌としてつくりだし、そこでうたわれるものに情感を搭載させることができるところであると感じます(その点で、俳句はむしろ物がそこにあるかのような、身体に対する異物性をその力の頂点にもつのではないかとおもいます)。》

 

 

 

 

2016_12_01

『現代詩手帖』2016年12月号にて、カニエ・ナハさんが、一年間の詩誌月評を総括する記事の冒頭で、『いぬのせなか座2号』を《おそらく千冊以上の詩誌を手にとったなかで〔…〕とりわけ先鋭的》と評し、さらに先日のパフォーマンス(があったということ)にまで触れていただきました。また、テキストの終わり頃には、鈴木一平の『Aa』掲載詩を引き、《「いぬのせなか座」でも触れたけれど、鈴木一平さんは、高い問題意識と技術とをもって書かれている、いま最も注目すべき、今後がもっとも楽しみな書き手の一人と思います》と書いてくださっています。本当にありがとうございます。ぜひ書店にてご一読ください。

 

 

 

 

2016_11_30

『いぬのせなか座2号』の初版が完売いたしました。現在再版準備中です。今しばらくお待ちいただけますとさいわいです。

 

 

 

 

2016_11_23

鈴木一平『灰と家』の発売を開始しました。現在、葉ね文庫さまでの委託販売や、文学フリマ東京での販売のほか、ウェブでの通販のご注文を受け付けております。

 

 

 

 

2016_10_22

いぬのせなか座叢書第一弾として、鈴木一平第一詩集『灰と家』を刊行いたします。11月23日発売、11月10日まで予約を受け付けております。予約特典あり。以後、通常販売も引きつづき受け付けております。詳しくはこちら

 

 

 

 

2016_10_09

山本浩貴+hが、2つの企画に参加します。ひとつは、12月刊行予定の「文鯨」第2号での小説の執筆。もうひとつは、10月16日に、飯岡陸さんキュレーションによる展覧会「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」のなかのイベントのひとつとして、「空間と記述」と題されたパフォーマンスとアフタートークを行います。

「文鯨」では、「叫びを翻訳すること」というテーマの下、久々の小説を制作しています。現在、「motion gallery」でのクラウドファウンディングを行われておりますため、もしご関心のある方は、ぜひご検討くださいませ。

展覧会「新しいルーブ・ゴールドバーグ・マシーン」では、いぬのせなか座総出で、パフォーマンスを準備しています。30分ほどの、〈私が私であること〉の知覚に関する思考の素材となるような映像と行為の編集となるかと思います。言語表現に感じずにはいられない「空間」イメージや、ホラー映画での〈リアルタイム性〉のほつれの様態、身振りがいかなる客体として周囲の環境を自らのうちに掛け合わせるかなど、さまざま提示し議論するかと思います。もしお時間のあるかたは、ぜひよろしくお願いします。

 

 

 

 

2016_10_08

山腰亮介さんの詩客での連載「自由詩時評第195回 「生」の収斂/修錬」にて鈴木一平「予告篇」を紹介していただきました。ありがとうございます。鈴木一平第一詩集は、ようやくほとんどの内容が確定し、刊行間近です。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

2016_09_10

次なる座談会(4?)に向けた練習映像を「333」に公開しました。これに関するテキストを山本浩貴+hがブログで公開しています。

 

 

 

 

2016_09_03

鈴木一平が「詩客」ホームページにて短歌評「短歌を見ました」の第2回を更新しました。今回は、ほぼ同時期に小説と短歌という2種類の表現形式で発表された雪舟えま「愛たいとれいん」を分析しています。

 

 

 

 

2016_07_17

『週刊俳句』さんに、山本浩貴+hが、「閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム わたしの新たな身体の制作に向けたふたつのルートの仮設計」というテキストを寄せました。これは、『週刊俳句』の5月・6月に掲載された俳句作品を論じる企画のひとつです。

俳句という表現方法について、個人的に細かく分析することはあれど、それは嵩張るテキストのなかでの思考ではなく、単発的なメモばかりが積み上がっていたのですが、こうしてご依頼をいただいて書くことで、自分の中で強引に(自分自身を用いて)突破口をつくり出すような状況におかれることができ、書くのはたいへんだったけれど、とてもうれしかったです。

また、平倉圭さんからの簡単なご感想()、福田若之さんによる批評「「切れ」を疑う 山本浩貴+h「閉鎖性を条件とする《空》の相互観測とアニミズム」を読んで」など、応答をいくつかいただきました。それに関しても、とてもうれしかったです。

俳句の「切れ」については、いぬのせなか座でも最近おおく議論の俎上に載ります。たいへんむずかしい問題であると同時に、制作における複数の自己がどのように発達し、処理されていくか、その土壌とはいかなるものか、について考えるには、避けては通れないものなのだという認識を、日に日に強くしています。(山本)

 

 

 

 

2016_07_10

東京都墨田区で7月10日に行われる、詩の販売・朗読イベント「ポエケット」に、いぬのせなか座が出店します。『1号』『2号』はもちろん、10月刊行予定の鈴木一平第一詩集の「予告篇」が、販売されます。制作進行中の詩集の、見開き6ページを、トンボ付きで縮小印刷したものです。書き直しも含めた制作期間の記載が特徴的な鈴木一平の詩が、進行中の作品の途中経過として提示されるということは、今回の「予告篇」が、10月に実際に刊行される詩集からの単なる抜粋ではないということを意味するでしょう。

今のところ、他での販売は予定しておりませんので、この機会にぜひ、おもとめください。

 

第20回ポエケット

日時:2016年7月10日(日)

午前10時から午後4時半まで

料金:入場無料

場所:江戸東京博物館1階会議室

 

 

 

 

2016_07_05

平倉圭さんが、いぬのせなか座『1号』『2号』に、推薦コメントを寄せてくださいました。

≪句読点を跨ぐたびにねじれる文の跳躍一つ一つが制作に変わる。制作は自己の生の物質的書き換えとなる。おおげさでなく私は『いぬのせなか座』にショックを受け、生きることへの関心と力を新たに取り戻すようだった。とくに山本浩貴+h「新たな距離 大江健三郎における制作と思考」(『いぬのせなか座』1号)は、ものを作るすべての人に薦めたい。「新たな距離」をまさぐりねじれる言葉の脈は、『いぬのせなか座』2号では、正岡子規や荒川修作の傍を過ぎつつ重力とレイアウトの問題へと展開され、諸ジャンルを超えて、もっとも先鋭的で深々とした共同的思考の表現へと足を踏み出しはじめている。いま触れるべきだ。≫

 

 

 

 

2016_06_28

カニエ・ナハさんが、『現代詩手帖』7月号の詩誌月評で、『1号』に引き続き、『いぬのせなか座 2号』を大きくとりあげてくださいました。

《前号では圧倒的な情報量、熱量をもって、文学という以上に、もっと深く広く、現在における私たちの生の(そして死の)在り方の、新しく根源的な地平を切り開き凝視していこうとする姿勢を突きつきられましたが、今号は前号以上の実験を展開し、思索・試作を深められていて、さらに圧倒されました。》

《「いぬのせなか座」は、その立ち上げに際して、かれらの共通の友人の死をその契機の一つとしている旨がしるされていましたが、そんな「いぬのせなか座」は、私になんとなく、およそ百年前の「月映」を思い出させましたが、(メンバーの年齢も、当時のかれらと同じくらいなのではないでしょうか)、「月映」が当時おそらくもっともラディカルなことをやっていたように、「いぬのせなか座」の現在におけるラディカルさは、他の詩誌・同人誌の追随を許しません。》

《私たちに思索をうながし、のみならず身体感覚にはたらきかけ、かつ詩情をも感じさせるようなフレーズに何度も出会える、必読の誌です。A1の紙のほうはぜひ実物と対峙していただきたいです》

 

 

 

 

2016_06_04

鈴木一平が「詩客」ホームページにて短歌評「短歌を見ました」の連載をはじめました。以前連載していた「俳句を見ました」の、短歌バージョンです。渡辺松男や永井祐の短歌を読み解きながら、「『この私』の認識」や「私の外にある私の判断」が、短歌によっていかに表現されるのか、議論が進められていきます。

 

 

 

 

2016_05_31

いぬのせなか座 1号』の第2刷を発売します。

 

 

 

 

2016_05_01

いぬのせなか座 2号』を発売しました。

 

 

 

 

2016_03_05

鈴木一平が「詩客」ホームページにて連載している俳句評「俳句を見ました」の、第6回が更新されました。大野林火や攝津幸彦の俳句の詳細な分析からはじまり、阿部完市の示す〈ゆるい「定型感」としての五七五〉という考え方へ、議論は進められていきます。

 

 

 

 

2016_02_27

『現代詩手帖』3月号の詩誌月評で、カニエ・ナハさんが『いぬのせなか座 1号』をとりあげてくださいました。

冒頭より2ページ超にわたって、いぬのせなか座の概要や、1号掲載の索引などから引用し、紹介してくださっています。なかでも鈴木一平の詩については、座談会1で参照された書き直し前のバージョンと、1号掲載「全集」に収められた書き直し後のバージョンの、それぞれ全文引用による比較がなされています。

《「画布とは未発生の絵画である。」「一点完了すると画面を裏返し、又新たな画布を張る。先行する作品と後続の作品は隣接しておかれたことがない。似たような画面上の現象が一定の規則の中で新たに新たに(ママ)繰り返されている。」といった美術家・中西夏之の言説(ともに一九九七年東京都現代美術館での中西夏之展カタログより)を連想したのは、鈴木一平さんが「いぬのせなか座」1号(いぬのせなか座発行)に寄せられている、「全集」と題された、小詩集と呼んでよいでしょうか、の冒頭に書かれた余白についての文章を読んでのことで〔…〕》

《レイアウトは、詩というより画集や展覧会カタログにおける絵画図版を髣髴とさせ、タイトルの位置も図版に添えられた絵のタイトルの位置も図版に添えられた絵のタイトルのそれに近い印象を与える、縦書きの詩の〈図版〉の左下に横書きで添えられています。注目すべきは、そのタイトルの下に制作年月が記されていることで、中には「2014.9-2015.8」とか「2014.9-」といったものもあり、数ヶ月に及ぶ製作期間や現在も制作が進行中であることを示唆しています。ここで思い出すのは西脇順三郎の詩集『近代の寓話』の巻頭に置かれた西脇自身による前書きの中の「私の考えでは一つの作品は与えられた瞬間に於ては唯一の形容をもつているが、それは常に変化して行くべきところを知らないのであつて、決して定まるところが無いのだと思う。私の詩などは現代の画家と同じく永久に訂正しつゞけるのであつて、それは画人も詩人も同じことだ。」》

《〔鈴木の詩は〕例えばマーク・ロスコやゲルハルト・リヒターの絵画のように何層・何十層にも絵画の、色彩の、層を重ねられた絵画の前に身をおいたときの、空間のみならず、時間の堆積が余白の層となって私たちを圧する感覚を想起させます。》

《〔『いぬのせなか座 1号』は〕もの凄い情報量と熱量をもった総合誌であり、実験場になっています。》

 

 

 

 

2016_01_30

山本浩貴+hが、blanClassにて開かれた週イチ平倉圭セッション[異種を折りたたむ]に参加しました。「つよいありんこ」という、ドローイングと俳句とレイアウトのないまぜになったような展示・パフォーマンスでした。詳細は、5月1日発売の『いぬのせなか座 2号』に掲載予定です。

 

 

 

 

2016_01_06

中井秀明さんがブログで『いぬのせなか座 1号』について言及してくださいました。

「移人称小説」と「いぬのせなか座」 - 翻訳論その他

渡部直己さんの提示した「移人称小説」という概念への指摘から、人称に関する議論へ進み、『いぬのせなか座 1号』掲載の座談会でなされた山本の発言が引かれています。その他、山本の大江健三郎論や、なまけの小説「ロケットのはなし」に関しての、批評・紹介がなされています。

《輻輳し、矛盾する文章や視点のそれぞれに1個の宇宙を割り当てるかのような多宇宙の構想、そしてそれに「収束の力」を与える「私が私であること」等々、アイディアが豊富なこの大江論は、当の大江自身や保坂和志によるそれと並び、実作者の側からの小説観の表明として読みどころが多く、私はまだ消化しきれていない。》

《これは『言語にとって美とはなにか』の単純な否定ではない。この否定ならざる否定――脱構築――から導出されたと思われる「小説は、なぜ、言葉のみを不可欠な素材としているふうに装っているのか」(「新たな距離 大江健三郎における制作と思考」、強調は原文では傍点)という問いの立て方のユニークさは疑いようがない。》

《『いぬのせなか座』では、掲載された個々の文章のモチーフやテーマが相互に響きあい、テクストの物理的な配置まで巻き込みながら、緊密な全体を形作っている。「移人称小説」ということでは、なまけ「ロケットのはなし」という掌編にもまた、私は、「移人称小説」と(誤って)呼ばれる現代日本小説のいくつかに感じられるのと似たような技巧性、ないしその手触りを感じた。焦点の変調も侵犯も起きていないようなのだが。

「ロケットのはなし」で、構成要素である各文の表象する時間や声の所在は、ほんとうに動転に動転を重ねる。ところが字面はまったく整然としているのだ。この対照が面白い。たとえばこれを英語だとかフランス語だとかに翻訳する場合こうはいかない。動詞の時制を現在完了、過去、大過去のいずれかに決めなければならないし、話法の使い分けもいる。どうしても、ごちゃごちゃしてしまうだろう。

最後の場面だ。文字たちが作り出す水平運動(類似する言葉)と垂直運動(前後する時間)との引き合いによる緊張が一気に解放される。作品は静かに幕を下ろすが、爽快な余韻だけは長く残る。渡部直己は、保坂和志『未明の闘争』で、「負荷」とその「解除」が効果的に機能していると指摘していた。作品の規模が違うとはいえ、この評言は、「ロケットのはなし」にもそっくりそのまま当てはまる。繊細なつくりの佳品といえる。》

 

 

 

 

2015_12_22 :

3ヶ月ごとに決めている、メンバーがひびあたまのどこか片隅においておきながら生活する3つのテーマ。12月から2月までの期間は、〈余白〉〈あたま〉〈重力〉に決まりました。

 

 

 

 

2015_11_23 :

いぬのせなか座 1号』を発売しました。

 

 

 

 

2015_05_01 :

いぬのせなか座 を立ちあげました。

 

いぬのせなか座