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いぬのせなか座

河野聡子『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』をめぐって

「いぬのせなか座叢書」第二弾として2017年7月に刊行した河野聡子詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』は、①河野による詩のテキスト、②それに触発されながら山本浩貴+hが行なった編集・デザイン、③完成した書物をもとにいぬのせなか座メンバーが行なった座談会、という、大きく分けて三種類の制作が(事後的な読み替えや配置換えなども含め)触発しあいながらパッケージされた〈作品〉だった。これは、それまで極端に少数に閉じることで高密度かつ高速な独自言語・思考・実験室を作り出すことを目指していたいぬのせなか座が、外部の制作者と明確に共同作業を行う初めての機会であると同時に、詩という、難解・孤立・曖昧なものとして考えられがちな表現方法を、可能な限り使いやすく濃密な共同制作の道具として仕立て流通させることを目指すものでもあった。

 

このページに掲載されるテキストや作品は、いぬのせなか座が、詩集『地上で起きた出来事はぜんぶここからみている』を、その刊行直後に様々な表現ジャンル・職種・研究分野の人々に手渡し、そこから触発され為される思考・制作を募った結果のものである。分量、形式、テキストや図版の有無、すべて自由(ただし、Webサイトへの掲載が前提にあるということは伝達済)。いぬのせなか座という名称も、詩集への直接の言及も必須ではない。

 

2017年8月27日に、まずは5名の作品・テキストが公開された。以降、順次いぬのせなか座のもとに届き次第、公開される。

幾人かの触発のもとで制作された作品や議論が、次なる制作や議論を、どのように立ち上げうるのか。その一例をここで実験・保存・提示する。

 

 

山本浩貴+h

2017年8月27日

(以下、あいうえお順)

 

 

 

『地上で起きた出来事はぜんぶ

 ここからみている』わたし

加藤治郎(歌人)

 

 

「紙飛行機」

そして五時がきて、スーパーのレジをアフリカが通過する

 

午後五時のレジのじじじとレシートの青い印字が今日の出来事

 

……

 

秘密のメディウム

 

大岩雄典(美術家)

 

 

 両開きの冷蔵庫を家電売場でよく見るしさわってしまう。磁石なのかなんだかわからないが、一度右辺から開いて、閉じて、その開いたときに丁番だった左辺が今度は開く。どうしてこんなに重い扉がくっついたり外れたりするんだろう、もしかして無理をしたら突然外れて落ちてしまうんじゃないかと思いながら、両開きの冷蔵庫をさわる。両開きの冷蔵庫を買ったなら、両開きというポテンシャルが活かせるように置きたくなるだろうし、キッチンから取り出しやすい方向のほかに、……

 

2017.08.27

2017.08.27

 

神話的世界へ、僕の方法、

そして、僕と異なる方法

悦びと希望を込めて

 

上妻世海(文筆家/キュレーター)

 

 

 僕がいぬのせなか座を知る最初のきっかけは、彼らが僕が企画した展覧会のイベントに来てくれたことだった。もちろん、なんとなくそれ以前から彼らの名前は知っていたし、ツイッター上で時々見かけたりしていたのだけれど、彼らが何を考え、何を記述してきたかについては全く知らなかった。そして、展覧会期間中にイベントを多数企画していて忙しかったという言い訳はできるけれど、彼らが来展してくれた後も、僕が彼らが記述してきたことを知らないという意味では何も変わらなかった。……

 

2017.08.27

 

粋過去によって開れるいま ・

 純粋他者によって開設されるわたし

 

郡司ペギオ幸夫(理論生命科学)

 

 

 デジャビュに対する脳科学や認知科学の説明は、ミスマッチとしての説明である。既知と未知とは明確に区別できる。親近感の有無も主観的に区別できる。既知は何度か経験しているという意味での親近感を有し、未知は経験の欠如という意味で親近感を欠く。これが正しいマッチングとされる。未知であるのに親近感を感じ、懐かしさを感じる。このミスマッチがデジャビュというわけだ。ミスマッチにはもう一つ可能な組み合わせがある。既知であるのに親近感を欠く経験、すなわち……

 

2017.09.02

ズッキーニと詩

 

細井岳(杣Books(杣人かつ本屋))

 

 

 ズッキーニである。私はズッキーニの味(良さ)を解さない者である。思えば、この野菜は突如として我が人生に現れたような気がする。現在36歳(妻子持ち)の私の子供の時分にはズッキーニなどなかった。それが得体の知れぬオシャレ感をまといつつ、いつの間やら、ふわっと食卓に現れるようになったのである。ズッキーニとは、そんな登場の仕方ではなかったか。ところで、ズッキーニと言えば、ラタトゥイユである。そして、私はラタトゥイユの味もまた解さぬ者である。……

 

2017.08.27

 

地獄の耳の楽園

河野聡子「地上」に寄せる断章

福田貴成(聴覚文化論・表象文化論)

 

 

 真夏の湖岸は、花の盛りを迎えたレンコン畑に見渡すかぎり覆い尽くされる。いちめんのはすのは。いちめんのはすのはな。極楽浄土にも喩えられよう遥かな風景でありながら、間近に寄ると巨大に育った葉々の群れが泥田の暗がりに光さす空き間も与えないほど無数に連ねられ、地上に増殖する生命の匂いがこちらの皮膚にべっとり貼りついてくる。強い陽射しの下で五感の遠近が歪む。青空には薄白い月が架かる。病めるは昼の月。……

2017.09.08

すべての連の空白からみえるすべて

 

町屋良平(小説家)

 

 

 ある日曜。午後。かれは詩集をよんだ。

 

今回の詩集でいくつかの連に分かれているようにデザインされている詩も、そのうちのいくらかは、デザインの段階で私らが連を勝手に切り分け、配置されていったものであり、

 

 という文章をよんでいるとどうじに、新人小説家からメールが送られてき、そこには掌編小説が添付されていて、……

 

 

2017.08.27