さいしょ

について

おしらせ

ひと

しごと

ざだんかい

333

333

いぬのせなか座

↓

いくつものを行き来させるプロジェクトプロトタイプのための保存と提示

いぬのせなか座を2015年5月に立ち上げるさい、私らは「座談会」や書籍作りと並行して、妙な遊びのルールのようなものを、活動のひとつの軸にしようとしていた。

それが「333」だった。

 

いぬのせなか座の立ち上げ時にWebサイトで公開した宣言文のようなもの(後に『いぬのせなか座』1号の序文になった)をいま見ると、そのルールが次のように書かれている。

《3ヶ月ごとに3つの主題を選び、それらをなるべく重ねたり、欠けたところを別のもので補ってみたりしながら、それらこそが重力であるかのようにふるまったり、生まれた私の起源であるかのように振舞うことにおいて、ものをつくり、宇宙の練習をつづけてみる。3ヶ月たったら主題のいくつかを変え(ぜんぶ変える必要はない)、2タームもしくは4タームごとに一度、単位としてまとめる。》

もうすこしだけ補足するなら――自分自身の日々の思考や制作の、宿となりうるようなテーマをひとつ選び、いぬのせなか座に持ち寄る。集まったそれらを、各々がすべて同等の重みをもった自分自身の問題として抱えるようにして、3ヶ月間を生きてみる。そうして、間接的にだけれど私以外の私の問題を、私自身の持続のように背負って日々を過ごしていくことで、ゆるやかに重なった共同の議論・制作の場を、抽象的に構成しようとする。そんな実験だった。

 

333という名前の直接の由来は、もちろん、楳図かずお『わたしは真悟』の「333のテッペンカラトビウツレ」だ。子どもらが、機械の出力したそれ自体はほとんど偶発的であるはずのテキストを真に受け、東京タワーから飛ぶ。その瞬間、誰も知らない場所で/それまでモノとしか思われていなかった機械に、新たな生命が生まれる。

あるいは、いぬのせなか座を直接に構成しているメンバーの3人(厳密にはそのうち1人は2人組だ)が集まることで生じるものを、「1+1+1=3」と表記するのではなく、3人(組)が各々の1のなかに他の2を足し合わせて3として、それらがばらばらに3つ並んである。そんな表記をしたいという気持ちもあった。

つまり、333は、9ではなくあくまで「3が3つある」ということ。そのようなばらばらさと従属関係の境で、思考すること。

 

今回、「いぬのせなか座叢書」やパフォーマンスの制作を通して生まれたプロトタイプやアイデアを、いぬのせなか座の外部に向けて保存・公開したり、あるいはそれらに触発されるかたちで生みだされた作品・テキストなどを掲載したりする場所をWeb上につくるにあたり、あらためてそれを333と名付けることにした。

いぬのせなか座は、これまでのような少数固定を維持しながら、アイデアや作品、理論、プロトタイプを通して他の生きもの・共同体と、(従属)関係を持とうとする。

お互いが別々でありながら、各々を自分自身のように真に受け思考・制作していく上で必要な、遊びのルール・道具……それを、日々の生活の中で複数がともに探し、試行錯誤し、改良していくために(その営みを十分に加速し続けるために、あるいは過去の多くの蓄積から技術や方法を掘り出し援用していくために)、このページを新たな333として、しばらくは活動のひとつに置いてみる。小さな人らの共同体でありながら、同時に豊かで持ち運び可能な遊び場であるような。

 

 

山本浩貴+h

2017年8月27日

(以降、随時加筆修正予定)